SENDAI光のページェント
知っていますか
仙台光のページェントで賑わう、定禅寺通り。(写真1枚目〜3枚目)
いまは、イルミネーション美しく、間も無く師走だ早いなあと感じる時期でもあります。定禅寺には昔、定禅寺というお寺があった、と言うことは、diggを始めてから知りました。(以前に掲載)。定禅寺の横には歓楽街国分町。
国分町は、この頃毎朝毎晩、通勤路で通ってるんですが、朝は仕事に行く人、とは逆に仕事を終えて帰る人、が行き交う場所でもあります。
本当にいろんな人がいて、歓楽街を通って帰ると、「生きてる」感の生命力を感じずにはいられません。
朝、疲れたからコンビニで栄養ドリンク買おうとコンビニ行ったら、前面にペパリーゼとウコンしか並んでなくて、朝から二日酔いの気分になります。ですが、同時にこの歓楽街が愛おしくもあります。そんな国分町。伊達政宗の時代は「こっぷんちょう」と呼んだらしいです。木ノ下に、陸奥国分寺が置かれ、国分氏が治めていたことからその地名がついたそうです。
豪商が古くから住んでいたとのこと。国分町と東一番丁を結び本櫓丁へ通じる通りの虎屋横丁。国分町角に、「虎屋」という屋号の 薬種問屋があったことにちなんでいて、この薬種問屋の店先に、虎の置物が飾られており、 それが 虎屋横丁の名の由来といわれております。(以前にdiggで触れています)虎の置物は、明治天皇がいらっしゃったときに、虎の置物を撫でたことから「お撫での虎」と呼ばれて、いまは、元の持ち主の方が仙台市に寄贈し、#仙台市歴史民俗資料館 に展示されています。(写真2枚目3枚目)
牛タン、レゲエパンチの発祥は国分町、とも書かれておりました。
夜賑やかな国分町。朝、商店街の方がきれいに清掃しているのを見て、みんなが夜、きれいな国分町で楽しめるのはきれいに清掃してくれる方々がいるから、とも思います。
ページェントを見たら国分町もゆっくり探索してみてくださいね。
エネルギッシュな夜の街、堪能してみてください。良く見ると、ところどころに石碑があったり、古い町名がかかれていたり、今でも歴史を感じることができます。
『未知ノ国守ダッチャー』の宿敵、国分蝶子&Dr.ガオールの「国分町で逢いましょう」も耳から離れないので、是非調べて聴いてほしい一曲です。
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