くりはら田園鉄道
知っていますか
絶対に、「二度と電車が通らない線路 。」
高校の頃乗っていた路線、くりはら田園鉄道 。過疎が進み、2007年に廃線になりました。
始まりは1921年から。
鉄道は細倉鉱山で働く人達、住む人たちの足として、細倉は大変賑わっていたと、ばあちゃんによく聞きました。
いまはどの鉄道会社でも行われない#タブレット交換 も時代が変わっても、唯一やっていたそうです。私も高校の頃見てました。
鉱山は三菱マテリアル でやっていたそうですね。戦時色が色濃くなるにつれ、鉱山は貴重な燃料だったに違いありません。戦後もそうですよね。高度経済成長頃までは賑やかだったのが、たまに細倉近辺を通ると垣間見ることができます。
戦中はアメリカの戦闘機が偵察に来たとばあちゃんに聞いたことがあります。
細倉鉱山に至っては、調べたところ『細倉鉱山は9世紀に発見されたとの伝承があるが根拠がはっきりせず、文献からは16世紀の後半に発見、採掘が開始されたと考えられている。当初は銀山であったが、17世紀後半から鉛の産出が始まり、停滞した時期もあったが、やがて仙台藩一の鉛の鉱山となったそうです。江戸時代末には細倉鉱山で産出された鉛から、細倉当百という鉱山で使用するための地方貨幣も発行されていたそう。大昔細倉鉱山は9世紀に発見されたとの伝承があるが根拠がはっきりせず、文献からは16世紀の後半に発見、採掘が開始されたと考えられている。当初は銀山であったが、17世紀後半から鉛の産出が始まり、停滞した時期もあったが、やがて仙台藩一の鉛の鉱山となった。江戸時代末には細倉鉱山で産出された鉛から、細倉当百という鉱山で使用するための地方貨幣も発行された。』と書いてありました。
その面影を細倉マインパークで、見学することができます。中はひんやりとして不思議な雰囲気です。江戸時代の砂金探しも体験することができます。
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